両日無事に終わりました。
date: 2022年10月9日author: h.namba

深夜からこんばんは。

かぜつちの黒子の方です。

改めましてArt & Craft 静岡手創り市 2022は

ご来展賜りまして誠にありがとうございます。

普段はあまり表に立たず子守担当の僕ですが、

今回、主催者側の設けたテーマが「お茶」という事もあったので

藍のお茶を振る舞わせて頂き、

たくさんの方と色々なお話をさせて頂きました。

ご来展をいただいた方はご存じだと思うのですが、

スイッチが入ると、ずっと話をしてしまうのが悪い癖でして、

土から藍染布になるまでを、

お手前のお客さんが許す限り伝えてしまいます。

聞いている方は大変だなぁと毎回思っていたのですが

さらにお茶を振る舞うことで、お客さんの立ち寄る頻度も増えて、

話が広がり上述した悪い癖がひどくなりがちでした。

今回3回目の出店なのですが、徐々に顔を知ってもらう頻度が増えると同時に

どんどんとカミさんの心配事が増えて行くようで申し訳ないです。

またこの文化に携わる職人や農家が本当に大好きで、

ついつい話の中に盛り込むのですが、

お客さんに楽しんでもらおうと、少々誇張したり・・・

そこに生えている一本の木ですら

藍染の原料だと利用する。

やたらめったらなスタイルで本当めちゃくちゃだぁ。と

自分でも思います。笑

でも、それぐらい無骨でがむしゃらで良いんだと

前はどこで人間形成を間違えたんだろうと、

つい最近まで悩んでいましたが、

これでいいんだと

40手前で思うようになってきました。

孔子がこんな事を言ってました。

- - - - -

子曰、

吾十有五にして学に志す。

三十にして立つ。

四十にして惑はず。

五十にして天命を知る。

六十にして耳順(したが)ふ。

七十にして心の欲する所に従へども、矩(のり)を踰(こ)えず」

- - - - -

口語訳をすると

- - - - -

子曰く、

私は十五歳のとき学問に志を立てた

三十歳になって、その基礎ができて自立できるようになった。

四十歳になると、心に迷うことがなくなった。

五十歳になって、天が自分に与えた使命が自覚できた。

六十歳になると、人の言うことがなんでもすなおに理解できるようになった。

七十歳になると、自分のしたいと思うことをそのままやっても、

人の道を踏みはずすことがなくなった」と

- - - - - - -

僕は18の時から糸編の世界に飛び込んで、

のらりくらりではあるけど、

この道で歩んでる。

不思議と孔子が仰った言葉は、

経験がそれに沿っているから馴染むものだ。

今回も思ったけど、

本来、藍染が色落ち・色移りをする誤解や、

効能があることを知らない方が多い。

来場者数全員に一括でアナウンスしたいけど、

語弊があるかも知れない。

だから一人一人と面等むかって、

草の根的に話をしていく事

諦めないコトが大事だと思う。

職人が前に立つことを悩む時期もあったけど、

それもまた歳と共に変化しつつある。

僕たちのブースには、実にさまざまな人が来る。

お客さんはもとより、

産地を担う若手から、農家さん、染織の保存会の方々、

テキスタイルデザイナー、同業者。

どんな方でも出来るだけ適切に話をするように心がけています。

立場が違うと良い点、悪い点は違ってくるし、

見る角度で映るものが変わってくる多面体のようだと思っているので、

お話をしたい方はいつでもお越しください。(出店先にどうぞ)

化学染料も繊維も植物染めも草木染めも色々とあるけど

事実を正しく伝える事を心がけていきたい。

本当に僕自身は至らぬ点が多々あるけれど、遠慮はなしの方が気持ちいい。

プレイヤーでさえ怪しい場合がある。

ぜひ色々と議論をしていきたい。

きっと分断を超えて議論をするとより良い文化を作れるのではと思う。

2日間、ありがとうございました。

来年は、かぜつちは3年目に突入。

石の上にも3年。来年に活かせることをたくさん見つけた秋でした。

※写真は出店時の2日目の朝

南馬 久志
卒業後、約3年、染屋で丁稚奉公を行い、その後、益久染織研究所 企画室に在籍。故 前田雨城の色の文化史の運営に携わる。2020年 かぜつち模様染工舎として動き出し、今に至る。

2022
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静岡手創り市ありがとうございました


第20回 「工房からの風」に出展します。


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