かぜつち模様染工舎

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中伊豆誌によると | 糸から想いをはせる

h.namba2026年3月9日
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明治初期の中伊豆の農家では、家の中にさまざまな仕事があったみたいで 茶葉もみ、むしろを編み、縄をなう、そして、機織りを行う。

中伊豆町誌によれば 明治六年(一八七三)の関野村の物産取調書には、 農産加工品として製茶・筵・縄が記されている。 さらに明治九年の取調書には、木綿糸・木綿地・味噌・醤油の項目が増えて 農家では畑から得られたものをそのまま使うだけでなく、家の中で加工し、暮らしに役立てていた。

とりわけ大切な仕事のひとつが、糸と布をつくることだった。

農家の女性たちは、木綿糸や絹糸を使って機を織った。 出荷できない糸などで織り上げられた布は衣服となり、野良着などの労働着として 暮らしの道具として生活を支えた。 機織りの技術は、農家の嫁に求められる大切な条件のひとつでもあったという。 嫁入りの際には、織れることが当たり前のように期待されていた。

当時の中伊豆では山の斜面を使用して桑園で蚕の餌を作ったりした。 農家では、綿と絹の両方が暮らしの中にあった。 綿は普段着の布となり、丈夫で日常の衣服に用いられた。 一方、絹は養蚕によって得られる糸であり、より価値の高い繊維だった。

中伊豆では明治以降、養蚕が急速に広がり、 農家の重要な副業となった。春から秋にかけて蚕が育てられ、 繭は現金収入の大きな源となる。家の中いっぱいに蚕棚が並び、 寝る場所もないほどだったと語られるほどである。

家の片隅では、別の仕事も行われていた。 かつて多くの農家には製茶用のホイロがあり、 自分の畑で摘んだ茶葉を手でもみ、家族で飲む茶をつくっていた。 味噌や醤油もまた、自家製であることが当たり前だった。

しかし時代が進むにつれて、こうした家庭の仕事は次第に姿を消していく。 手もみ茶の風景も、機織りの音も、 むしろや縄を編む手仕事も、農家の暮らしから遠ざかっていった。

現在の中伊豆では、農産加工品の中心はわさびである。 わさび漬をはじめ、さまざまな加工品が作られ、 地域の特産品として広く知られている。また、 製茶工場や地元の小麦を使った食品加工なども行われている。

けれども、かつてのこの地域での農家の暮らしを思い浮かべるとき、 そこには糸をつくり、布を織る手の仕事があった。

綿糸と絹糸。 糸車を使ってでは無いけど、 ガラ紡機で紡いだ糸でやっと500gほどの綛ができ上がってきた。 いつか土地に根付いたものづくりがしたいものだ。 土が一番大事だって、 本当にそうなんだと素材を触っていると思う。 そういえば松崎に絹の博物館があったっけな。 今度行ってみよう。